優しい

同じ神社の石段であるか、昔は正面として使われていた。江戸時代干拓事業がなされたが工事中3度の決壊と難航したそうだ。それは横土手とした町名で神社から東に延びている。それを機に正面を東とし、急な石段が作られた。一方以前の石段は一段の高さが5㎝もなく誠に優しい石段である。