もう2年も海外に出ていない。写真は桂林興坪の船着き場である。興坪は古鎮(古い街)があり景色が良く部屋数4部屋の旅館がある。名前も歳も同じ林さんの宿でとてもフレンドリーで2回尋ねた。夕食は長男喜太郎君と一緒だと30元、一人だと50元であった。これは少しでも日本人と接触させたい親心である。奥さんは30歳若いビョンビョンさん。唯一知っている日本語は「自分でやって」だけであった。喜太郎君と母さんはのんびりしていて登校はいつも遅刻であった。スケッチのため車を頼んだ。タクシーなどなく来たのは耕運機で運転のおじさんは出会う人すべてに止まって挨拶するし、登り坂は押す羽目になった。スケッチは出来ず隣村までガタゴトと揺られたドライブであった。