キジル石窟の作品を仕上げた。コロナ禍での自粛で制作に集中できた。キジル石窟は、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟、洛陽の龍門石窟とともに中国四大石窟と称され、その営造は敦煌の莫高窟より200年早く、すでに2000年ほどの歴史を有している。古代西域の亀茲古国内に位置し、福岡、上海、西安、ウルムチへと飛行機で。トルファンから汽車で天山山脈3000m越えた。その後車でたどり着いたは辺境の地であった。ようはシルクロードである。荒涼とした大地の石窟は他とは違った。かって仏教東漸、中原文化西進の中心・融合の地であって、そのためキジル石窟は、異なる歴史的時代の民族文化の要素が最も広範囲に渡り形成されている。内容のほとんどが我が身を差し出して弱き者を助けるといったものである。